
徳川幕府から見捨てられた悲劇
2018年09月27日 | 工房日記 | Comment(0)
2018/09/27
今日は何も予定のないブランクディでした。午後から大学の視聴覚教室へ行き「街道をゆく」の第六巻「奥州白河・会津のみち」をじっくりと鑑賞してました。タイトルはその感想です。
朝の記録です。
昨日の塗りの確認と曙塗りのお椀のお化粧塗りです。
お昼はお雑煮でした~ → まず「奥州白河」には奈良時代には金山があったと言う話。
「会津のみち」は、引き受け手のない京都守護職を押し付けられた松平容保は家訓を護って幕府に恭順しつづけ、最後は江戸に逃げ帰った徳川慶喜にも見捨てられ、あげくのはてに朝敵とみなされて会津若松城で滅ぼされる。これで悲劇は終わりと思いきや、下北半島へ封印される。
松平容保は明治中旬まで存命して、死後、一族は孝明天皇からの親書があったことを公表した。
[本日のおまけ] 午後5時半の西の空