箱根にお墓参り
2022年07月11日 | 工房日記 | Comment(0)
2022/07/11
1940年代の話です。父が華北交通(満鉄の子会社)に母が満鉄病院に勤めていた関係で私は内モンゴル自治区の僻地で生まれています。2歳の頃重い腎臓病にかかったとのこと。現地では手当ができず、厚和工務団の団長のKさんが北京まで搬送してくれて一命をとりとめたと両親から聞いています。
時は過ぎて1960年代、厚和工務団の仲間が箱根町仙石原で生コンの製造会社を起業したのです。言いだしっぺは仙石原で箱根牛乳を営んでいたKさん、厚和工務団の団長のKさんは故郷の京都木津に戻って土木業をしていたところ呼び出されて工場長の役で、その他当時の仲間も加わって一時期隆盛を極めました。私と言えば高校生の夏は決まって牛乳製造業を手伝いに行ってました。
またまた時が過ぎて1980年代になると開拓精神旺盛な牛乳業のKさん一家は新天地を求めて北海道へ移住。現在では千歳市東丘で北海道箱根牧場を営んでいます。私にとっては、両親の満州時代のつながりで、お二人のKさんとのしがらみも財産です。厚和工務団の団長のKさんは平成4年に鬼籍に入りました。長~い旅路を終わって仙石原の長安寺に眠っています。
仙石原の長安寺は曹洞宗の古刹です。いつ行っても五百羅漢が温かく迎えてくれます。
命の恩人のKさんのお墓にお参り → 箱根牛乳時代にお世話になった方にご対面~ん。
帰路は、大涌谷経由→横浜山下公園→中華街で美味しいものを食べて、充実した一日でした。